もしお金があったら好きなものを買って旅行に行って、贅沢三昧な生活がしたい・・・・・。
誰でも一度は考えますよね。
お金さえあれば、やりたいことは山のようにあります。
誰だって、お金持ちになりたい。
誰だって、贅沢がしたい。
そう思うでしょう。
好きなものが簡単に手に入る贅沢な生活・・・。
・・・・・。
いや、冷静になって考えてみましょう・・・。
果たして贅沢三昧の生活は、幸せなのでしょうか?
贅沢のみが人生の目標で生きているなら、それが幸せと言ってもいいかもしれません。
しかし贅沢な暮らしをすることが、生きる目的ではないような気がしませんか?
幸せを感じられる生き方が目的なのでは?
いや、贅沢が目標の人も結構いるかな・・・。
確かに、お金があるに越したことはないでしょう。
ですが贅沢三昧=幸せと考えることは、間違いです。
逆に贅沢な生活は、幸せを遠ざけてしまうと僕は考えています。
贅沢を日常化すると、幸せを感じることが出来なくなってしまう理由をお話します。
贅沢は日常化すると、贅沢ではなくなってしまう

例えばたまに行くあるレストランが、特別なご褒美【贅沢】だとします。
贅沢を感じる、特別な時間です。
気持ちのリフレッシュができて、また頑張ろうと思えるでしょう。
ですがそのレストランで、毎日食事ができる生活だとどうでしょう?
それは特別なご褒美でも、なんでもないですよね。
ただの日常です。
あんなに贅沢を感じた時間が、何も感じない日常となります。
牛丼やファーストフードと何ら変わりません。
これは旅行も同じです。
毎日温泉旅行へ行っていたら、どうでしょうか。
ハワイに毎月行っていたらどうでしょうか。
特別な贅沢感は皆無です。
これでは逆に、家にいることが贅沢になりそうです・・・。
つまり
贅沢は日常化してしまうと、贅沢と感じなくなってしまうのです。
日常化してしまうと、そこに特別な満足感を得ることはできません。
贅沢三昧が幸せを奪ってしまう理由とは

幸せを感じる瞬間とは、どういったときでしょうか。
いつもの日常の、ふとした瞬間もあるでしょう。
家族や恋人といるときに感じることもあるでしょう。
人それぞれと思いますが、
幸せを感じる瞬間とは【楽しい特別な時間、瞬間】ではないでしょうか?
当たり前の日常と違った、特別な時間です。
ここで前途説明した、贅沢と日常の関係が重要となってきます。
贅沢はたまの贅沢であることに意味があって、日常化してしまえばそれは特別な時間ではなくなってしまいます。
日常化した贅沢は、意味のない無駄遣いと化すのです。
ただの浪費です。
贅沢=幸せと考えるならば
贅沢が日常となった時点で、幸せではないですよね。
贅沢が贅沢でなくなってしまうのだから。
お高いラストランが日常化すると、今度はさらにお高いレストランが贅沢になります。
さらにお高いレストランの次は、さらにさらにお高いレストランが・・・・。
キリがありません。
贅沢したくなるのは、人の心理です。
誰だって、今より良い生活をしたいですからね。
ですが、そこで既に見失っているんです。
その贅沢が、幸せな時間でなくなってしまったことに・・・。
まとめ、結論

- 贅沢は日常化すれば、贅沢ではなくなってしまう
- 贅沢が麻痺すると幸せの感覚も麻痺する
- 贅沢三昧は幸せを奪ってしまう
たまの贅沢を堪能することに贅沢の意義があって、日常から贅沢をしては意味がないのです。
お金持ちが幸せと思ったら、大間違い。
何でも簡単に手に入る生活は、何の幸せも感じない生活となるでしょう。
そんな人生では、お金があっても心を満たされることはありません。
【幸せを感じる方法とは、贅沢を日常化しないこと】です。
贅沢を追い求めることが、正しいといえるでしょうか。
お金なんて、少し足らないくらいが一番幸せなのかもしれませんね。