保守とリベラルはお互いを説得すること不可能説

人々の政治思想は多様であり、政治に求めるものもそれぞれ異なります。
たとえば、「日本を第一に考える保守」と「グローバリズムを推進するリベラル」は、まさに正反対の思想と言えるでしょう。
お互いが自身の考えを「正義」と信じ、間違いがないと思っているのではないでしょうか。
ちなみに、私は保守の立場なので、日本を守り、日本人が日本のために政治を行うべきだと考えています。
そんな私が、ある結論にたどり着きました。
それは、保守とリベラルがお互いを説得することは絶対に不可能であるということです。

お互いを説得しようとすることは、時間の無駄だと結論付けました。
今回は、私がなぜこの結論に至ったのか、その理由をお話ししたいと思います。
相容れない正義:保守とリベラルはお互いを説得することはできない

メディアで政治思想の異なる人々が討論するのを、よく目にしますよね。
基本的に保守とリベラルの対立です。
しかし、これらの討論で「白黒はっきりする」ことがあるでしょうか?
保守とリベラル:互いの「正義」は相容れない
保守はナショナリズムを、リベラルはグローバリズムを正しいと信じています。
この二つの思想は、まさに善悪が逆転するほど真逆です。
一方にとっての「正義」は、もう一方にとっては「悪」であり、逆もまた然りです。
このような状況で、いくらお互いが説得を試みても、結論が出るはずがありません。
根底にある価値観が異なる以上、どちらか一方の考えが完全に正しいと認め合うことは極めて困難だからです。
政治思想に「正解」はない:選挙結果が変えられない個人の信念
世の中には、誰にとっても明白な「正しいこと」と「間違ったこと」が存在します。
それが法律であり、社会の秩序を保つためのルールです。
しかし、政治に対する思想には、唯一の「正解」というものがありません。
正解がないものに、明確な結論を出すことは不可能でしょう。
選挙は多数決で決まるため、多数派が勝者となります。
ですが、たとえ選挙で敗れたとしても、自身の政治思想を簡単に変える人はいないのではないでしょうか。

選挙結果が出たとしても、個人の心の中にある正義と悪の基準は変わらないものです。
保守とリベラル:知れば知るほど溝が深まるだけ

もし、「結論が出ない」と分かっている討論を続けたとしたら、どうなるでしょうか?
溝が埋まるどころか、逆に深まる結果しか考えられません。
互いの意見を理解できず、最終的には不信感と疲弊だけが残るでしょう。
保守とリベラル:真逆の道徳観が導く「相容れない」溝
保守とリベラルでは、その道徳観が真逆と言っても過言ではありません。
保守層は、伝統と文化を重んじ、守るべきものを守っていくという考え方をします。
保守にとっては、これまでの歴史の中で培われてきた価値観や秩序を維持していくことが重要です。
一方、リベラルは多様性を重視し、性的指向やジェンダーなど、少数者の意見に重きを置くグローバリズム思考です。
リベラル層は、より自由で平等な社会を目指そうとします。
簡単に言えば、一方は伝統文化を守りたい側、もう一方は伝統文化の変革(保守派から見れば破壊)を望む側に分かれるわけです。

根本的な道徳観の違いがある限り、お互いが相容れることは極めて難しいでしょう。
アメリカに見るグローバリズムの光と影:理想と現実のギャップ
アメリカの政治は、共和党(保守)と民主党(リベラル)の二大政党制であり、非常に分かりやすい構図です。
現大統領のトランプ氏は共和党、前大統領のバイデン氏は民主党に属しています。
民主党のバイデン政権下では、グローバリズムを推進する政策が進められました。
グローバリズムは、理想としては非常に素晴らしいものだと思います。
あくまで理想としては、ですが。
グローバリズムの下で移民受け入れや多様性を推し進めた結果、アメリカ社会では治安や秩序の悪化が問題視され、収拾がつかなくなってしまいました。

これは、グローバリズムが「全員が善人である」という前提がなければ成り立たないことを証明したのではないでしょうか。
今回の記事は、あくまで中立的な視点での考察を心がけていますので、この話題はここまでにしておきます。
保守とリベラル:「不毛な議論」は時間の無駄でしかない

保守とリベラルは、その思想が根本的に真逆です。
この「平行線」の考え方では、お互いを説得することは不可能だと私は結論付けました。
どこまで議論を続けても平行線のままで、決して結論が出ることはありません。
つまり、お互いを説得しようと試みたり、不毛な討論を続けることは、単なる時間の無駄でしかないのです。
異なる思想との「不毛な議論」をやめた
私は保守の立場であるため、保守目線で話を進めてしまいます。
そのため、もし相手がリベラル思想だった場合、往々にして言い争いに発展してしまうのです。
その結果、お互いの溝が深まるだけで終わります。
この経験から、私は思想の異なる人と言い争うのをやめました。
なぜなら、そこには絶対に結論が出ないからです。

不快な思いをして終わるだけなので、不毛な議論はやめます。
異なる思想でも手を取り合う「是々非々」の精神
思想が根本的に真逆なのは事実です。
それでも共通する部分があれば、その点に関しては協力し合っても良いのではないでしょうか。
例えば減税です。
保守政党として挙げられる日本保守党や参政党と、リベラル政党のれいわ新選組は、根本思想こそ真逆ですが、減税に関しては意見が一致しています。
互いを罵倒し合うだけでなく、認めるところは認め、是々非々で対応していくのが建設的ではないかと私は考えます。
あとがき
今回、「保守とリベラルがお互いを説得すること不可能説」について語りました。
価値観が真逆である以上、どれだけ話し合っても議論は平行線をたどり、それどころか溝が深まるばかりです。
かつては思想の異なる人を何とか説得したいと考えていましたが、諦めました。
どう考えても時間の無駄だと気づいたからです。
認められない部分は、無理に認める必要はありません。
しかし、肯定できる点については肯定し、あくまで是々非々の姿勢で判断することが重要なのではないでしょうか。
以上です。
それでは、また。